ミュージカル「生きる」を観て

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黒澤明監督の映画『生きる』をミュージカル化した宮本亜門演出の「生きる」をこの10月に東京有楽町の日生劇場で観て来た。

 

ミュージカルはそれほど観たことはない。前回観たミュージカルは福岡の博多座で「レ・ミゼラブル」で2007年で13年前。主役のジャンバルジャンを演じたのは別所哲也だった。ミュージカルの定番であり役者さん達の演技はもちろん、当時の博多座の舞台で繰り広げられる舞台装置にも圧倒された記憶がある。

 

今回の「生きる」もそうだったが平成や令和の時代の劇場の舞台装置は何か自分の想像を超える複雑で様々な仕掛けがあるのだろう。電動の装置なのだろうか。音楽に合わせて素早く場面が入れ替わり間を持たせない演出が繰り広げられる。演じる俳優の躍動感あふれる動きはもちろん息もつかせぬ展開が次々と展開された。

 

黒沢映画『生きる』では志村喬が市役所の課長を演じる。思い詰めて俯く顔をアップした画面が印象に残る素晴らしい映画だった。あのモノクロでどちらかと言えば静かに物語が進むイメージの映画をどうミュージカルにするのかにも興味があった。

 

宮本ミュージカルではそれぞれの場面で湧き上がる感情を音楽とダンスに込めて躍動感溢れる演出となっていた。

 

主演は市村正親と鹿賀丈史のダブルキャストだったが観たのは市村正親バージョン。背をかがめ無口な課長役をこなしていた。規則正しくそれでいて無気力な実質何もしない何も出来ない課長が病の宣告(というより本当の病を知らせないという定例のパターン)を受けて自分の今までの人生は何だったのか、という自身への問いかけから物語が展開していく。主役の市役所の課長の内面を短いセリフや仕草で表現しながらむしろ取り巻く周囲がミュージカルらしくダンスと唄でその場面を盛り上げ課長の内面の対称を浮き彫りにさせる。そんな演出だった。

 

新納慎也演じる小説家がこの課長の内面を浮かび上がらせ説明する立場にあり課長の気持ちや心情を代弁する。この役どころがあってこそこの「生きる」がミュージカルとして成り立つものとなっていた。

 

ラストは予想通り出来上がった公園でブランコに揺れながら「ゴンドラの唄」を唄う雪の降るシーンだった。欲を言えばもっとここで余韻を残して欲しかったのだが、ミュージカルとしての性格上無理があったのかも知れない。実際映画のシーンでもそうだったがバックは雪のふる公園で主人公の唄以外に音がない世界でカラーで表現すればモノトーンで静寂な世界だったのだから。

 

和製のオリジナルの映画からミュージカルへと派生した「生きる」。今回は2年前の再演とのことだったが昭和の物語がもう一つの表現媒体を通じて新しい時代に新しく生まれ変わった。そんなミュージカルを観ることが出来てただただ嬉しかった。

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